1月8日(日)
天王山へAⅠハイキングを行いました。
参加は17名。
集合:9:30 JR山﨑駅
茅の輪は荏胡麻の茎と葉でできています
「離宮八幡宮」9世紀に当地に鎮座。平安時代に当地で始まった荏胡麻生産が活発化し、鎌倉時代には神社は座の会所となり、大いに繁栄したとの事。照明用の油として用いられました。
本邦製油発祥地の碑
お宮を出ると、「国界碑」、摂津(大阪)と山城(京都)の境の碑が建てられていて、関所になっていたところです。「大山﨑」荏胡麻油で栄え自治都市でもあり、交通の要所でもあったのです。
東海道本線の線路の下のトンネルをくぐり
天王山の登山口へ
宝積寺へのきつい登り坂を登る
宝積寺の三重塔。秀吉の一夜の塔と呼ばれる重要文化財
宝積寺よりいざ天王山へ登山開始
青木葉谷展望広場で衣服調整
陶板画「秀吉の道」2基目「秀吉の中国大返し」の解説を読む
1基目は山荘美術館トンネル前にあります
少し登ると「旗立松展望台」に着。桂川・宇治川・木津川の三川合流が展望できます。
「山﨑の合戦」の時、秀吉軍の士気を高めるため、老松に「千成瓢箪」の旗印を掲げると戦局が優位に動いたとの事。ちなみに松は7代目だそうです。
登山道の上にある「酒解神社」に立派な鳥居。どうやってはこんだのでしょう?
3基目・4基目の陶板画「頼みの諸将来たらず」「山﨑合戦」もあります。
「酒解神社」の三社宮
陶板5基目「光秀の最期」があり
「自玉手祭来酒解神社」(タマデヨリマツリキタルサカトケジンジャ)に当着
奈良時代の創建。
もともとは「山﨑山」と呼ばれていたのが、酒解神社が中世ごろは「牛頭天王」(ゴズテンノウ)を祀っていたため「天王山」と呼ばれるようになったそうです
「神輿庫」は鎌倉時代建立の「板倉造り」で国の需要文化財である
11:00 天王山(270.4m)着。陶板画「秀吉の覇権」があります。
平成3年の調査時に天王山頂上の三角点は亡失していて、近隣の三角点を見通す必要があり、近くの「十方山」へ三角点を設置したそうです。「山﨑合戦」のあと、秀吉が「山埼城」を建てた天王山山頂、三角点がないのは残念ですね。
11:30 早目の昼食の後、出発。
「竜神池」の小さな案内板
道なき道の落ち葉の踏み跡をたどってくだると、小さな池が。こんな山の中に、水は湧水か山からの水でしょうか?
昭和10年頃まで雨ごい神事が行われていたそうです。石垣の崩れた所もありました
元の登山道のに戻り、歩いていくと真ん中に切り株。探していた「サントリー山」への案内。あのサントリーの持山?
数年雨の台風の爪後もそのままで
12:04 サントリー山(295m)着
サントリー工場への山道がしっかりついています。また今度はこちらに降りよう。
登山道に戻り、{柳谷観音}の分岐。ここからはずっと下り。注意して下る。
12:53 「小倉神社」着。解散して阪急西山天王山駅まで舗装道路を歩く。
13:20 阪急西山天王山駅着。
雨天の予報が、良いお天気になり、歴史を学びながらの暖かい新年ハイキングになりました。
№555 hokusetuyamazakur